〜吉田先生と共に〜
 八田先生が亡くなった平成5年7月、深い悲しみの中で、これからどうしようという気持ちと、とにかく頑張らなくては、という不安定な状態の中、「よっちゃん・もっちゃんコンビ」が誕生しました。しかし現実は、あまくはなく5年連続金賞がかかった、平成5年、(当時は5年連続金賞を受賞すると翌年普門館(全国大会会場)で審査集計時に特別演奏)関東大会で撃沈してしましました。八田先生の病床での最後の編曲である「魔法使いの弟子」を普門館までもっていけなくて申し訳なく、やっぱり自分達の力ではダメなんだと、心底思い知らされた、ドラマティックな「よっちゃん・もっちゃんコンビ」のスタートでした。そういえば、八田先生が亡くなる寸前の病床で、「あの3人の息子達が心配なのよ」と言っていたそうです。3人の息子とは吉田先生、永江楽器水戸店店長の宮崎さん、それと私でした。まさに私達3人は魔法使い『八田泰一』の弟子なのです。
  半年間位、落ち込んでいました。とにかく頑張らなくては、という気持ちが日に日に出てきたので、新たなスタートをきりました。しかし編曲物を、多く演奏する私の指導しているバンドの編曲をどうしよう?という問題にぶつかりました。不思議なもので、8年間八田サウンドをたたきこまれた、私には理屈でわからなくても、体で、耳でそれが染み込んでいたのです。それ以来今日に至るまで、常総がコンクールで演奏する編曲は物は、私のアレンジによるものを演奏できるようになりました。「よっちゃん・もっちゃんコンビ」の練習は、指導者が未熟な分、練習時間を必要としました。バンドの音は以前よりも大きくなり、演奏も過激になったと思います。そして「よっちゃん・もっちゃんコンビ」になって、7回の金賞と2回の特別演奏を経験するに至りました。平成15年、ネムに出ないかという話があり、喜んで出演させて頂きました。永倉さんを始めとするヤマハの方々、担当の五十嵐さん、小原さん、ありがとうございました。コンクールとはまた別の全国デビューだったと思います。人間やればできるという1つの証明なのかもしれません。武蔵野音大合唱団と東京芸術劇場で、ベートヴェンの第九を全楽章演奏するなんて、八田先生が生きていたら、頭から湯気をだして怒ったかもしれません。でも内心喜んでくれたかもしれません?
  これからも、吹奏楽という可能性を追求し、コンクールでも審査員という人が決める、極めて、不確実なものを喜びに変えていくよう、より完成度の高い音楽づくりを目指して努力していきたいと考えています。   
                              おしまい
第50回全日本吹奏楽コンクールで記念すべき10回目の金賞を受賞した直後、
普門館のロビーにて
第九演奏会(東京芸術劇場)
合唱:武蔵野音楽大学合唱団
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